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柳生新陰流兵法

 柳生新陰流は、上泉伊勢守秀綱(後に武蔵守信綱)工夫による独特の袋韜(ふくろしない)を用いて稽古を行う剣術流派です。

 当流に伝わる柳生新陰流は、概要に書いた通り、柳生厳周、柳生厳長両師に師事し印可を受けた大坪指方師よりの伝系で、大坪指方氏との親交を深める中で、当流第十世 武藤正雄師が継承するに至ったものです。 今日では、第十一世梶塚靖司が柳生心眼流體術と併せて伝承しております。

  また、柳生家は柳生石舟斎の五男宗矩に始まる江戸柳生家と、孫の兵庫助利厳に始まる尾張柳生家とがありますが、江戸柳生については、その技自体は途中で絶えて伝わっておりませんでした。しかし、十世武藤正雄氏の史料分析により今日江戸遣いの技はほぼ解明され、当流の中で稽古いたしております。

道具

 袋韜(ふくろしない)の長さは三尺三寸(約1m)で、革製の袋に赤漆を塗って丈夫にし、その中に割り竹を入れた造りとなっています。竹には細工のしやすい淡竹(はちく)を用います。 当時は、木刀か真剣を用いての試合でしたので、どちらかが命を落すか、命が助かっても片輪になるかでした。袋韜の発明により、お互いに力の限り打ち合っても怪我をすること無く、切磋琢磨できる様になりました。現代剣道で用いる竹刀の元祖です。 袋韜の他、燕飛(えんぴ)と言う技では、長さは同じく、三尺三寸で、細身の枇杷木剣を用います。

服装

普段の稽古では、心眼流と同じく柔道着等で稽古しておりますが、正式な場での服装は、黒紋付きに袴を着け、白足袋を履いて行います。 その昔、将軍家の御前での演武を行う際には、将軍といえどもその演武を上座を降りて、手をついてご覧になった、と伝えられるほど品格の高いもので、本来の演武には、上の様な正装で臨みます。

技(形)

新陰流の技の体系は、次の通りとなっています。

三学圓之太刀(さんがくえんのたち)

上からの遣い、下からの遣い各五本

 三学円太刀の三学とは仏教で言う戒・定・慧に相当し、ここでは身構・手足・太刀の三つを 学ぶこととしています。 この技は主として自分が待にして、相手の動きに従って勝つ心持ちを稽古します。

九箇(くか)

九本

 九箇は、他流の極意を抽出して九本の技に編成したと言われています。 この技は先の三学と対照的に、じっと構えて動かない相手に様々な駆引きを行い、相手を 動かしてその動きに従って勝つ心持ちを学びます。 新陰流は、相手を動かして勝つ、相手の動きに従って勝つ活人剣に特色があります。

燕飛(えんぴ)

六本(江戸遣いでは八本)

 燕飛、上泉伊勢守は松本備前守の神道流と、愛州移香斎の陰流を学び新陰流を創始しました が、この燕飛は陰流の技です。 木刀を用いて、六本(江戸遣いでは八本)の技を一気に使います。新陰流の気合は基本的に 無声ですが、唯一この燕飛の技で三個所、有声で気合を掛ける所があり、独特の技遣いとな っています。この技を通して、身体,手足の自由自在な動きを学びます。

天狗抄(てんぐしょう)

八本

 天狗抄、この技も三学、九箇を通して得た習いを基に自由自在な動きを身に付けます。対二 刀や対多敵の技も含まれます。

奧之太刀(おくのたち)

六本

 奥太刀は、相手に添截乱截と勝ち、添截乱截を無二剣と勝ち、無二剣を活人剣と勝つ。この 様に順次進み行き、終には神妙剣に至る極意の太刀です。

 柳生新陰流は、将軍家の御流儀であった関係で、単に技だけでなく、当時の一級の文化人を納得させるだけの緻密で詳細な理合い・心法を兼ね備えております。

 当流では、技の習得と並行して、柳生心眼流十世故武藤正雄氏が収集した史料等を通 して、その理と心とを学んでいきます。

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